HOME » ふくしまと八重 八重が生まれた「時代」 » 棒たら
流通が発達していなかった江戸時代、内陸部に位置する会津地方では、新鮮な海産物を手に入れることがほとんどできませんでした。そのため、保存性の良い干物を活かした食文化が発展しました。中でも会津を代表する保存食といえば、「棒たら」が挙げられます。
たらは体長80cmほどの魚で、北海道から東北地方の日本海沖で獲られてきました。「棒たら」は、内臓を取り除いたたらを海水で洗って、1ヶ月程度かけて乾燥させたものです。北海道と大阪を行き来する北前船(きたまえぶね)によって、日本海からニシンや貝柱などの乾物類といっしょに、新潟港を経て会津へ運ばれてきました。
会津地方の人たちにとって大切なタンパク源であり、雪によって流通が途絶える冬はもちろん、1年を通して日々の食事には欠かせない保存食であった「棒たら」は、さまざまな料理として当時の食卓に並びました。その中でも「棒たらの甘煮」が有名です。
棒たらは非常に硬いため、下ごしらえには多くの水と時間が必要です。「押し切り包丁」という大きな包丁を使って、1匹を約10等分して、身を柔らかくするために1週間ほど流水にさらさなければなりません。その後、たっぷりの水と砂糖、酒、醤油で煮込みます。“煮ては冷まし、冷ましては煮る”を2~3日繰り返すことで、奥まで味がしみ込み、骨まで柔らかくなります。
主に結婚式やお正月にご馳走として食べられました。特別な日に食べるこの一品を、八重も楽しみにしていたかもしれません。また、「棒たら」はおかずとしてだけでなく、茶会でのお茶請けとしても親しまれていました。
現在はたらの収穫量の減少や、料理に手間がかかることから、日常的に食べられることは少なくなりましたが、魚屋さんの店先に吊るされた姿や家の軒先のたらいに浸された姿は、会津の冬の風物詩となっています。