HOME » ふくしまと八重 八重が貫いた 「誇り」
「ハンサムウーマン」と呼ばれた彼女の人生を振り返りながら、夢や目標を見失いがちな現代人に必要なことを考えていきたい。
自らの行動と意志を貫き 「鹿鳴館(ろくめいかん)の貴婦人」に。
明治9年
「私のライフは、襄のライフ」深い絆で結ばれていた八重と襄。八重はプロテスタントとしては京都で初めて洗礼を受け、翌日宣教師・デイヴィスの司式で結婚式を挙げました。
明治26年~
襄を亡くした後、ほかに何か社会に貢献できないかを考えた八重は、看護の道へと進みます。日清・日露戦争に従軍し、勲章を授けられました。
明治27年~
襄が亡くなった後は、圓能斎直門の茶道家として茶道教授の資格を取得。「新島宗竹」として、京都に女性向けの茶道教室を開いて自活。裏千家流を広めることに貢献しました。