HOME » ふくしまと八重 八重が刻んだ「足跡」 » 善龍寺
保科家の元祖・保科正則の位牌があり、保科家の菩提寺として発展してきた寺院。 戊辰戦争の際、本堂は焼けてしまいましたが、寛政9(1797)年に建造されたといわれる山門は戦火をまぬがれ、今もなお当時の面影を残しています。内部には西国三十三観音が安置されていて、「竜宮門(竜宮造り)」と呼ばれる会津地方では珍しい様式を採用。善龍寺のシンボルとして、多くの人たちに親しまれています。
善龍寺は、会津における曹洞宗の「僧録寺」となっていました。僧録とは、一宗の寺院・儀式、あるいは人事なども司り、僧事を記録する僧職のことです。慶安2(1649)に、「僧録寺」である恵倫寺・天寧寺とならんで善龍寺が僧録寺となったのは、信州以来の寺院として、藩公から特に敬意を払われていたためといわれています。
会津の人々に深く信仰されていたお寺。その境内には、会津藩家老・西郷頼母や妻・千重子、頼母の母など西郷一族21人を祀った「二十一人の墓」や会津戦争で戦死した会津藩士の遺体の埋葬に尽力した伴百悦の墓、明治期の外交官・赤羽四郎の墓など、多くの会津藩士のお墓があります。
所在地
〒965-0824 福島県会津若松市北青木13-33
TEL: 0242-26-3022