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佐川官兵衛は剣術、馬術と歌道に秀でた文武両道の人で、人情に厚く、その人柄で部下たちに慕われた会津藩家老です。会津藩主松平容保が京都守護職を務めた際には、京都日新館の学校奉行、容保が外出する際の警護にあたる別選組や諸生組の隊長を兼任しました。
鳥羽伏見の戦いで、薩長勢と戦った際、刀は折れ、銃弾により眼を負傷したにもかかわらず、平然と指揮を執っていたことから「鬼官兵衛」と恐れられました。その後の戊辰戦争では、軍事奉行頭取として各地を転戦します。「佐幕派強い者番付」にも部名を謳われるほどで、その指導力は容保からも高く評価されていました。材木町住吉河原での戦いでは、わずかな兵力で西軍に甚大な損害をあたえました。これは籠城戦開始後、会津藩のあげた唯一の勝利といわれているものです。
お問い合わせ:佐川官兵衛顕彰会(会津武家屋敷)
〒965-0813 福島県会津若松市東山大字石山院内1
TEL:0242-28-2525