HOME » ふくしまと八重 八重が刻んだ「足跡」 » 戸ノ口原の戦い
怒涛の勢いで十六橋に殺到した新政府軍。この橋は、戦略上非常に重要なポイントになっており、ここを抜かれれば会津若松の城下は無防備な状態となります。旧幕府軍は急いで橋の破壊を開始しましたが、石橋だった為に容易には破壊出来ませんでした。目前まで攻め込んだ敵に、短時間で橋を奪われてしまいます。
その頃、藩境の母成口が破られたという知らせを受け、予備軍だった白虎隊も集合を命じられていました。当時の会津藩主・松平容保のお供として滝沢村へ行く途中、戸ノ口原方面から応援を求められ、白虎隊は戸ノ口原に向かうことになります。