HOME » ふくしまと八重 八重が学んだ「精神」 » 鳥追観音
大同2(807)年、仏都会津の祖・徳一大師によって開創された観音霊場。観音堂は、 全国でも珍しい「東西向拝口・三方開き」の構造で、東口から入り、鳥追観音に祈願した後、戻らずに西口から出るようになっています。これは「観音様の導きで人生を 全うし、やがて西方浄土へ安楽往生が叶う」という鳥追観音のご誓願を表現しています。
御堂には多くの彫刻が施され、中でも最も有名なのが「隠れ三猿」。慶長18(1613)年の御堂再建の際に、江戸期の名工・左甚五郎が心を込めて刻んだと伝えられる名作で、この三猿を見つけると幸運が開き「福まさる」といわれます。また、身代りなで仏(金剛力士像)をなでて祈願すれば、ころりと大往生が叶うことから「ころり観音」とも呼ばれています。中田観音(会津美里町)、立木観音(会津坂下町)と並ぶ「会津ころり三観音」のひとつです。
因みに、慶長4(1868)年8月9日には、戊辰戦争で野沢に出陣していた会津藩主・松平容保公が、鶴ケ城へ戻る時に戦勝をご祈願された。また、京都守護職に任命された文久2(1862)年に奉納の武者絵馬も現存しています。
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