八重が学んだ「精神」。新島八重の人生・哲学を育んだ、福島の地。その精神を今に伝える名跡・文物・歴史を紹介します。

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木村 貞子

女性の教養と福祉向上に人生を捧げた会津人

人を支え続けてきた貞子。多くの人が彼女の導きに助けられたことでしょう。(提供:やまがみらいこども園)

会津婦人会を創立し、女性の教養と福祉に貢献した女性です。女性教育が充実していたとは言えない明治時代、女性教育の重要性を説き、国民教育の基本として発展を目指す会津婦人会を創立。また、役人らの子供を世話する10代の子が、乳幼児を背負ったまま学べる「子守学校」を設立しました。

表に立つことは無く、縁の下を支えるような女性だったといいます。八重とは違ったタイプの女性かもしれませんが、二人とも会津の厳しい環境で培った「忍耐力」で周囲を引っ張ったことは共通と言えるでしょう。また、八重も看護の道で社会福祉に従事していました。二人は10歳も離れていなかったので、どこかで会う機会があったかもしれません。

安政元(1854)年、貞子は会津若松市に7人兄弟の末っ子として生まれました。実家は浄土真宗の満福寺で、仏教の教えと親の愛をたっぷり受けながら成長します。幼少期に両親を亡くしてしまいますが、18歳で医師の木村宗順と結婚。明治初期で、幕末の余波が残る頃です。その後4男4女の子宝に恵まれます。
家族の教えや、慈善事業で活躍していた瓜生岩子を尊敬していたこともあり、46歳の時「真宗婦人教会」その2年後に実家の満福寺に事務所を置く「会津婦人会」を創立しました。8人の子供を育てながらの運営はさぞ忙しかったと思います。婦人会創立の翌年、「子守学校」を設立。保育園や施設が整っていない当時の事を考えると、子育ての大変さを知り、福祉に力を入れていた貞子だからこその行動だったのでしょう。

その後30年余り地道に活動を続け、昭和8(1933)年に託児所を創設することになります。貞子が79歳の時です。昭和13年に85歳で亡くなるまで、生涯を教養と福祉に捧げ続けました。

託児所が今は保育園(会津婦人会保育園)となり、卒園者は3000人を超えるほどになりました。貞子からの教えは親から子へ、そしてその子からまた子へと受け継がれています。会津婦人会は創立100年を迎え解散となりましたが、彼女が亡くなってもなお、その意思は脈々と続いています。

やまがみらいこども園

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