八重が学んだ「精神」。新島八重の人生・哲学を育んだ、福島の地。その精神を今に伝える名跡・文物・歴史を紹介します。

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稽古堂

会津における教育の始まりとなった学問所

稽古堂

会津若松市大町にある稽古堂跡

会津藩教育の祖といわれる儒学者・横田俊益(よこたとします)の提唱によって、寛文4(1664)年に創立した学問所。民間の人々の協力によって、若松桂林寺町(わかまつけいりんじまち)の北に建てられました。武士や庶民の身分に関係なく多くの人々が通い、講義に耳を傾けたといわれています。武士と庶民の教育を目的とした学校としては、全国で最も早い時期につくられた学校といわれています。
その後、三代藩主・松平正容(まさかた)のときに、藩士教育のための新たな学問所(後に日新館へ発展)がつくられると、稽古堂は「町講所」と名称を改め甲賀町に移されて、主に庶民の教育を目的とした場所に変わっていきました。

現在は威徳院(いとくいん)の正面左側に「稽古堂跡」の石碑があります。これは昭和23年ごろに隣地にあったのを移したもので、稽古堂はこのあたりにあったと考えられています。また、会津若松市生涯学習センターの愛称は「會津稽古堂」といいます。形はなくなってしまっても、稽古堂の学びの精神は、現代の会津にも受け継がれています。

身分に関係なく学問を奨励する会津藩でしたが、当時は「女に学問はいらぬ」という時代だったので、女子に対する教育制度はありませんでした。その分各家庭で祖父母や父母によって、躾や立ち振る舞い、侍の婦女子としての生き方などを厳しく教え込まれたといわれています。八重の母・さくは非常に聡明な人であったと伝えられています。八重が先見的な女性に育ったのは、この母の影響かもしれません。

稽古堂跡

福島県会津若松市大町1丁目5-37

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