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コラム:江戸時代の女性“虎の巻”「女大学」

いつの世も、子を思う親の心は同じ 江戸時代版「女性 虎の巻」

近年『お受験』という言葉が当たり前になってしまうくらい、学校以外にも塾や習い事に毎日忙しい子どもたち。首都圏から離れた福島でも、多くの子どもたちが塾に通っている。さて、江戸時代の教育とはどのようなものだったのだろうか。
このころの日本は、戦乱の世が鎮まり社会が安定し平和になったことで、経済活動が活発に。様々な思想・言論の表現が盛んに行われ、華やかな文化が花開いた時代だった。経済の中心が町人の階級にうつると、一般庶民の間にも教育の意識が芽生えるようになる。しかし江戸時代に義務教育制度はなく、教育は男子も女子も民間任せだったようだ。義務教育制度はないというものの、寺子屋などで一通りの読み・書き・ソロバンができるように教育を受けさせていた。

女大学は江戸時代中期以降、女性の教育に用いられるようになった教訓書だ。享和2(1716)年、貝原益軒の作といわれているが、著者・成立年代とも未詳。この教訓書は儒教の教えにより、女性のあるべき姿が19か条にまとめてある。内容は封建的で、『夫を主君として仕える』『夫の両親を実の親以上に大切にする』という心得が書きつづられている。小さいころからよく教えることが肝心で、嫁入り道具をりっぱにすることより、こうした教育をするほうが女性を幸せに導く、と説いている。

八重が育った会津は、日新館が設立されるほど教育に熱心な土地だったが、日新館に入れるのは男子だけで、女子に対する教育制度はなかった。では女子の教育はどうしていたのかというと、会津には「什の掟」をはじめとする独自の子弟教育方針があり、その教えに則って育った父母に、躾や立ち居振る舞い、侍の婦女子としての生き方などを教え込まれた。裕福な家庭では家庭教師を雇って教育していた。その他、女子のたしなみとして裁縫などを習わせてもいた。
すべては子どものため。時代は変わっても、子どもを立派にしてやりたいという親の心は変わらない。

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