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コラム:会津藩の子の基本「什の掟」

小さな心に宿る 会津藩士の“自覚”と“誇り” 社会のしくみを「什(じゅう)の掟」に学ぶ

什の掟

『子どものケンカに、親が出るもんじゃない』――ひと昔前なら当たり前だった“暗黙の了解”が、通用しにくい現在。幕末を生きた会津藩士の親子が、もしタイムスリップしてきたら、この現状を果たしてどのように理解するのだろうか。

会津藩では、同じ地区に住む6~9歳の藩士の子どもたち(男子のみ)は、「什」と呼ばれる10人前後のグループを結成。無論、八重の兄・覚馬や弟・三郎も属していた。そこでの決まりを定めたものが、会津藩の子の基本「什の掟」である。
掟の内容は「年上の人の言うことに背くな」「きちんとお辞儀をしろ」「嘘をつくな」「卑怯なことをするな」「弱いものイジメをするな」など、現代のしつけにも十分通用するほど。什によって若干の項目の違いはあるものの『ならぬことはならぬ』この言葉だけは、すべての什で共通だった。

什ごとに学ぶ子供たち

ルールのあるところには、当然ペナルティも存在する。違反者には、仲間たちから厳しくも愛のある“制裁”が加えられた。もっとも軽い処罰『無念』は「無念でありました」とお辞儀をし、仲間に侘びをいれる。次が『竹篦(しっぺい)』。いわゆる「しっぺ」で、罪の重さに応じて、箇所や回数が違ってくる。その際、一番の年長者で什を仕切る什長(じゅうちょう)が目を光らせているので、手加減をすれば当然やり直しが命じられた。そして一番重いのが『派切り(仲間はずれ)』。言い渡された場合には、違反者の父親または兄が付き添い、什長に深く侘びをいれ、仲間たちから許しが出てはじめて、再び什に戻ることができたのだ。

驚くべきは、このルールもペナルティも、子どもたちが考え出したものだということ。幼い彼らの心には、すでに会津藩士としての“自覚”と“誇り”が宿っていたのだ。そして「什の掟」を通して、彼らは社会のしくみをも学んでいたのだ。6~9歳の子どもたちが、である。現代の子どもたちはもちろん、親たちにもぜひとも見習ってほしい。

もし子どものケンカに口を挟んでいる親を見かけたら、ぜひこう言いたい。
『ならぬことはならぬものです』と。

福島県観光交流局観光交流課
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