八重を育てた「家族」。新島八重を育てた母、砲術を教えた兄、そして夫など、八重とその家族たちを紹介します。

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大龍寺(会津若松市)

八重の先祖が眠る 山本家の菩提寺

大龍寺

大龍寺本堂。本堂前には戊辰戦争殉難殉節供養の碑があります。

天正年間(1573~1580)、礼儀作法の流派として名高い小笠原流の祖・小笠原長時の墓所となった桂山寺がその起源といわれています。その後、寛永20(1643)年、保科正之が会津に移封された時のお供寺のひとつとして、正之に従って会津に移った機外禅師が当時無住となっていた桂山寺の地を拝領し大龍寺を開山しました。

戊辰戦争の際には、小笠原長時夫妻と娘の墓がある小笠原家ゆかりの寺院であったため戦火をまぬかれ、新政府軍の野戦病院として使用されていました。ほかにも算学者・安藤有益をはじめ会津藩士族のお墓がたくさんあり、戊辰戦争殉難殉節供養の碑もあります。

大龍寺

八重の先祖6人が眠る山本家のお墓。

本堂裏には、京都高尾・嵐山から移植した有名な「大龍寺のかえで」があり、江戸時代の代表的な作庭家・小堀遠州の流れを汲む目黒浄定が造った遠州流の庭園もあります。この庭園は、元禄9(1696)年に浄定が御薬園を造る前の試作として造ったものだといわれています。
また、明治2(1870)年には容保の長男で、後に八重がいた同志社英学校で一時期学んでいた容大も、この寺で生まれています。

寺に残る文化年間(1804~1817)からの過去帳によると、山本家は八重の高祖父(曽祖父の父親)の時代から、ここを菩提寺としていました。八重は、亡くなる前年の昭和6(1931)年、それまで点在していた山本家の墓を一カ所にまとめ、墓標を建立します。墓標の表には彼女が書いたといわれる「山本家之墓」の文字が、裏には「昭和六年九月合葬 山本権八女 京都住 新島八重子建之 八十七才」と刻まれています。

大龍寺

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