八重が生まれた「時代」。新島八重が過ごした幕末〜明治の面影を今に伝える、様々な名跡が福島には残っています。

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旧会津米沢街道(会津)

八重も通ったかもしれない 会津と米沢をつなぐ街道

旧会津米沢街道

現在も当時の面影が残っています。

会津若松城下から、米沢への重要な道筋になっていた旧会津米沢街道。現在も北塩原村の大塩から桧原にかけて、旧街道が残っています。街道の発祥年代は不明ですが、街道沿いにある文化財や遺産などからの推測では、平安時代にはすでに開通していたものと考えられています。旧会津米沢街道と宿場町(裏磐梯の桧原、大塩)の賑わいは明治時代末期まで続き、伊達政宗や上杉謙信、西行法師など、数多くの武将や有名人が通りました。明治時代に入ると、福島と山形県を結ぶ栗子道路(万世大路)が開通したため、徐々に衰退。現在では、静かに眠りについています。

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磐梯山の噴火によって湖底に沈んだ桧原村。現在でも、昔の集落にあった神社の鳥居や墓石が顔を出す場所があります。

千年の歴史を持っている旧会津米沢街道。新島八重も、ここを通っていたかもしれません。これまでは、京都に行くまで、八重は会津で暮らしていたとされてきましたが、最近行われた、野口信一氏(会津歴史考房主宰)の調査で、戊辰戦争後、米沢へ出稼ぎに行っていたことが判明しました。会津図書館に残されていた旧北会津郡の戸籍から、八重の戸籍が発見されたのです。それによると、米沢藩士の内藤新一郎方に一族4人が身を寄せて出稼ぎしている、とあります。八重は、どんな気持ちでこの道をあるいたのでしょうか?

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