江戸時代、会津若松と日光・今市(ともに栃木県)を結んだ下野街道の宿駅のひとつで、栄えた宿場町。参勤交代の大名行列や旅人、江戸廻米の輸送など、多くの人・物資が行きかい賑わいました。下野街道は、当時会津藩と友好関係にあった米沢藩(山形県)や新発田藩(新潟県)の人々も利用するなど、重要な路線のひとつでした。
旧街道沿いには、約40軒もの茅葺き屋根の家々が整然と軒を連ね、今もなお当時の面影を残しています。主屋の多くが建設されたのは、江戸時代後期から明治にかけて。八重の生まれた時代とほぼ同時期といえます。昭和56(1981)年には、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。