八重が生まれた「時代」。新島八重が過ごした幕末〜明治の面影を今に伝える、様々な名跡が福島には残っています。

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コラム:会津まつりで感じる、会津の心

ならぬことはならぬものです - 最後まで信義を貫いた会津人の想いが織りなす祭典

会津を感じるには、ぜひ会津まつりを観てほしい。
まずは初日の『提灯行列』。このイベントで祭りが開幕する。夕闇にしずむ市内を約1万人もの子どもたちが、ゆらゆら揺れる提灯に火を灯し練り歩く様は、どこか幻想的でほほ笑ましい。

2日目の『先人感謝祭』では、会津の先人に感謝するとともに、戊辰の役で亡くなった会津藩士や戦火に巻き込まれた人々の慰霊と鎮魂のための式典が執り行われる。そして厳かな式典の後、この祭りのメインイベント『会津藩公行列』の幕が開く。

会津藩の歴代藩主や白虎隊、娘子隊(じょうしたい)のほか、会津地方にゆかりのある高遠藩(たかとおはん)、桑名藩、斗南藩(となみはん)の武士などに扮した総勢500名が市内を行進する。その姿は圧巻で、まさに勇壮な時代絵巻を見ているかのようだ。各所では火縄銃や殺陣(たて)の演武、白虎隊剣舞などのパフォーマンスが披露され、沿道を埋め尽くすほどの観客から大きな声援が送られる。 その他にも初日と2日目には『会津磐梯山踊り』、最終日には『日新館童子行列』『鼓笛隊パレード』など、様々なイベントが開催される。

戊辰戦争後、逆賊と呼ばれ長らく苦難の道をたどった会津。そんな中、昭和3(1928)年に最後の会津藩主松平容保の孫、勢津子妃が皇室へ入輿(じゅよ:嫁入り)され、会津の人々に大きな感動を与えた。勢津子妃のご成婚は逆賊と呼ばれた会津藩の汚名をそそいだといわれている。
八重もご成婚に際し、『いくとせか みねにかかれる村雲の はれて嬉しきひかりをそ見る』という和歌を詠んでいる。会津まつりは苦難に耐えた会津人の想いが昇華され、昭和28(1953)年初めて開催することができたのである。

激動の幕末を生きた人々の生き様、人との関わりを大事にする深く温かい人情、そんな会津の魅力を感じてほしい。

福島県観光交流局観光交流課
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