HOME » ふくしまと八重 八重が生まれた「時代」 » 会津木綿
会津地方の人々にとって、日々の生活に欠かせないものだった会津木綿。400年ほど前、領主・蒲生氏郷が産業振興のために綿花の栽培を奨励して、木綿を織らせたのが始まりだといわれています。以来、農民だけでなく、藩士の妻女も内職として機織をしていたようです。
落ち着いた色合いで、素朴ながらも美しい縞模様が特徴。「地縞」と呼ばれるこの模様は、地域によって縞の太さや色合いが異なります。これは布を染めるための植物や木の実が地域によって異なるため。地縞はいわば“地域のユニフォーム”のようなもので、今でも、出身地の地縞にこだわりを持っている人もいます。
厚手で丈夫、肌合いが良く、保温性・保湿性・吸水性に優れているため、冬は寒く、夏は暑さが厳しい会津地方の人々の生活に欠かせないものでした。主に野良着や作業着として定着していて、八重や白虎隊もこの会津木綿の着物を着ていたといわれています。
現在では色やデザインが工夫されて、洋服地やエプロン、コースターなどのインテリア用品の他、ハンドバッグ・財布・袋物などの民芸品としても幅広く利用されています。