新島八重が貫いた「誇り」。戊辰戦争後、京都に移り住んだ新島八重。彼女の後半生を彩る様々な人々とのふれあいを中心に紹介します。

HOME » ふくしまと八重 新島八重が貫いた「誇り」 » 八重と茶道

八重と茶道

茶道教授としても活躍した新島八重

新島旧邸の茶室

新島旧邸の茶室
(写真提供/同志社大学)

八重の祖先・山本道珍は、会津藩主・保科正之に仕えた藩の茶道頭です。道珍は遠州流茶道を学んでおり、会津の茶道の祖となりました。

八重は兄・覚馬の推薦で、京都府立の女紅場(後の京都府立鴨沂高等学校)に勤務しました(1872年~1875年まで)。ここに茶道教授として勤務していたのが、裏千家十三世・圓能斎鉄中(えんのうさいてっちゅう)の母。これがきっかけで茶道に親しむようなったといわれています。夫・新島襄が亡くなった後は、圓能斎直門の茶道家として茶道教授の資格を取得。茶名「新島宗竹」を授かりました。以後は、京都に女性向けの茶道教室を開いて自活。裏千家流を広めることに貢献しました。晩年は禅にも興味を示して、臨済宗の建仁寺に参禅するようになりました。和尚管長の竹田黙雷とも茶事を楽しむ日々を過ごしたといわれています。

福島県観光交流局観光交流課
TEL.024-521-7398/FAX.024-521-7888