八重が刻んだ「足跡」。新島八重や会津藩を激動の渦に巻き込んだ戊辰戦争。その戦争について紹介します。

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斎藤 一

会津のために最後まで戦った男

戊辰戦争、そして正義とは

新選組3番隊隊長で一刀流の達人として名を馳せました。19歳の時に誤って人を斬り、江戸から京都へ逃れ、上洛してきた浪士隊と新選組を結成。剣の腕前に特に優れ、剣術の師範も務めたほどでした。

剣術に秀でた新選組3番隊隊長

戊辰戦争では鳥羽伏見、甲州勝沼の戦いを経て会津入りします。その後、負傷した土方に代わって隊長となり新選組を指揮しました。白河、猪苗代町の母成峠などで新政府軍と交戦。相手の軍事力に押され旧幕府軍の敗戦が濃厚になっても、「会津を見捨てるのは正義ではない」と最後まで会津の地で戦いました。会津藩が降伏をした後も戦い続け、会津藩主・松平容保が派遣した使者の説得によって、ようやく投降したといいます。

明治維新後の人生

「正義」を貫いて戦った男が、今も会津に眠っています。

明治に入り、斗南藩領(現在の青森県東部)に移住した斎藤は、最初の結婚をします。その後、会津藩士の娘、時尾(ときお)と再婚。籠城戦で、新島八重の髪を切ったのが時尾でした。警視庁に勤務し、西南戦争にも参加しています。最後は東京教育博物館に勤務。「死んだら会津に墓を建ててくれ」との遺言を残して、大正4(1915)年、東京で亡くなりました。享年72歳。会津若松市の阿弥陀寺にある、東軍墓地の一角に眠っています。

阿弥陀寺

〒965-0044 福島県会津若松市七日町4−20
TEL:0242-27-7445

福島県観光交流局観光交流課
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