八重が刻んだ「足跡」。新島八重や会津藩を激動の渦に巻き込んだ戊辰戦争。その戦争について紹介します。

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奥羽越列藩同盟

会津藩、庄内藩と運命を共にする 奥羽越31藩の同盟軍

奥羽越列藩同盟

奥羽越列藩同盟旗(宮坂考古館所蔵)

戊辰戦争の際、陸奥国(奥州)・出羽国(羽州)・越後国(越州)の31藩が、新政府軍に対抗するために結成した同盟。
慶応4(1868)年、鳥羽・伏見の戦いに敗れ、江戸へと引きあげた会津藩軍は、失意のうちに帰藩します。恭順(おとなしく命令に従うこと)を表明した将軍・徳川慶喜と同じく、会津藩主から退き隠居した松平容保も恭順を願い出たものの、受け入れられませんでした。その後も、会津藩は何度も嘆願書を、仙台藩や米沢藩をはじめとする奥羽諸藩も会津寛典嘆願書をそれぞれ提出しますが、いずれも退けられてしまいます。

度重なる会津赦免嘆願の拒絶などにより、元々は「朝敵」とされた会津藩、庄内藩の赦免を願い出ていた奥羽25藩(仙台藩、米沢藩、秋田藩、盛岡藩、二本松藩、弘前藩、新庄藩、棚倉藩、相馬藩、三春藩、山形藩、上ノ山藩、平藩、一ノ関藩、福島藩、松前福山藩、本荘藩、守山藩、泉藩、亀田藩、八戸藩、天童藩、湯長谷藩、下手戸藩、矢島藩)は「奥羽列藩同盟」を結成。さらに越後6藩(長岡藩、新発田藩、村上藩、村松藩、三根山藩、黒川藩)を加えて「奥羽越列藩同盟」が誕生しました。「朝敵」扱いをされた会津藩と庄内藩は、事前に「会庄同盟」を結成しています。

会津藩、庄内藩と運命を共にすることになった奥羽越31藩から成る同盟軍は、こうして新政府軍との激しい戦いへと突き進んでいくことになったのです。

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