HOME » ふくしまと八重 八重が刻んだ「足跡」 » 河井継之助
文政10(1827)年1月1日、長岡城下長町(ながおかじょうかながちょう:現在の新潟県)に生まれました。継之助は通称で、本名は秋義(あきよし)といいます。子どものころから聡明で、文武に秀でた神童といわれていました。26歳の時に1度目の江戸へ遊学に行き、山本覚馬と同じ、佐久間象山の元で学んでいます。31歳で家督を相続した後、32歳で再び遊学。西方を巡り、藩政や世界情勢について学びました。
遊学から戻ると、長岡藩の家老となり藩政改革を断行。財力を養い、当時の日本には3門しかなかったガトリング砲(機関銃)を2門購入するなど、藩の近代化に努めます。