八重が刻んだ「足跡」。新島八重や会津藩を激動の渦に巻き込んだ戊辰戦争。その戦争について紹介します。

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稲荷山古戦場跡(白河市)

奥州街道を北上する新政府軍を迎え撃った激戦地

稲荷山古戦場跡

正面に見えるのが稲荷山。山の南側には広い平野が広がっています。

奥州の玄関口・白河は、東に進むと棚倉城下から平(今のいわき市平地区)に、奥州街道によって北の二本松・福島に、白河街道を西に進むと会津若松へ至る、交通の要衝です。そのため、戊辰戦争の際、旧幕府軍にとって白河とそこにある小峰城は、どうしてもおさえておかなければならない場所でした。なぜならば江戸や宇都宮に集結している西軍は、奥羽の関門である白河を通過する必要があったからです。

小峰城から南へ2㎞ほど離れた稲荷山は、奥州街道から白河城下に入る関門で、白河口の戦いでは、旧幕府軍が最も重要視した陣地でした。ここを落とすわけにはいかないと、会津藩や新撰組の山口次郎(斉藤一)などが守備にあたっていましたが、薩摩藩などに三方向から攻められて陥落しました。ここでの戦死者は、700人にも上るといわれています。

現在は、山頂上付近は公園になっていて、西郷頼母の碑や会津藩戦死者の慰霊碑などがあります。

稲荷山古戦場跡

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