八重が刻んだ「足跡」。新島八重や会津藩を激動の渦に巻き込んだ戊辰戦争。その戦争について紹介します。

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蛤御門(京都市)

八重の兄・覚馬が活躍!激戦が繰り広げられた場所

蛤御門

とても大きく頑丈そうな門

蛤御門は、京都御苑西門の一つ。門の形状は高麗門型の筋鉄門です。本来の正式名称は新在家御門でしたが、光格天皇の頃に発生した「天明の大火」で御所が炎上した時に、滅多に開かなかったこの門がこの時だけは開いたことから「固く閉じていたのが火にあぶられて開いた=蛤(はまぐり)」のような門、蛤御門と呼ばれるようになりました。そして今では正式名称になっています。

この門の周辺では、八月十八日の政変により京都を追放されていた長州藩勢力が、会津藩主であり京都守護職の松平容保らの排除を目指して挙兵し、京都市中において市街戦を繰り広げました。この事件が有名な「禁門の変」です。

蛤御門

たくさんの弾痕跡。覚馬が残したものも、もしかしたら・・・

江戸遊学を果たすなどし、会津藩のエリートとして名を馳せていた覚馬。砲術に関しては藩校・日新館で師範をするほどの腕前で、その実力から混乱の中にある京都に呼び寄せられていました。覚馬は禁門の変で、まさにこの蛤門を守備しており、大激戦の中活躍。勝利に導きました。そして、功績を容保に賞され、公用人に任じられます。 この戦いで敗北した長州藩勢の攘夷派は、久坂玄瑞や真木保臣など急進的指導者の大半を失ったことで、その勢力を大きく後退させることになりました。 今も門の梁(はり)にはたくさんの弾痕が残っており、その戦いの激しさがつたわってきます。

蛤御門


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