HOME » ふくしまと八重 八重が刻んだ「足跡」 » 忠七桜
福島の桜といえば、日本三大桜のひとつにかぞえられている三春滝桜が有名です。ほかにも、「三春滝桜の娘」といわれている樹齢約400年の紅枝垂地蔵ザクラや樹齢約350年の不動桜など、郡山市中田町にはたくさんの紅枝垂桜が点在しています。
中でも鮮やかな紅色の花を咲かせるのが、中田町牛縊(うしくびり)本郷にある「忠七桜」。樹齢約170年の紅枝垂桜で、三春滝桜の子孫ではないかと考えられています。この名前は、桜を現在の場所に移植した三春藩・御館村(現在の中田町)出身の宗像忠七に由来します。
慶応4(1868)年に起きた戊辰戦争では、三春藩は無血開城の道を選択。藩内は戦火を免れましたが、当時まだ少年だった忠七は、西軍の荷物運びとして懲役されました。食料や武器・弾薬など、約30㎏の荷物を会津へ運び、そこで目を覆いたくなるような状況を目の当たりにします。心を痛めた忠七は、故郷に帰ると自宅前にあった桜を現在の場所に移植して、一帯を「寿命山」と名づけて整備しました。そして桜の木の下に祠を建てて、人々の霊を慰めたそうです。
忠七は昭和4(1929)年に亡くなるまで、会津での光景を忘れることができず「いつまでも桜を守れ」と言い遺しました。宗像家では忠七の遺言に従い、現在の5代目まで、桜を大切に守っています。桜の傍らにある現在の祠には、いつも花や食べ物が供えられています。宗像家だけではなく、近所の方々も供えに来るそうです。
春になると、枝いっぱいに小さな花を咲かせる忠七桜。その一つ一つが、忠七の想いを現在に伝えています。