八重が刻んだ「足跡」。新島八重や会津藩を激動の渦に巻き込んだ戊辰戦争。その戦争について紹介します。

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安達太良神社(本宮市)

信仰と戊辰戦争の軌跡を残す 貴重な建造物

安達太良神社がある本宮市は、会津街道、相馬街道、三春街道の交点でもあり、交通の中心地でした。その本宮からは日本の百名山にも選ばれた安達太良山を眺めることができます。会津の人々が磐梯山に特別な思いを抱いていたように、この地域の人々も安達太良山を眺め、信仰の対象としていました。その安達太良山を遥拝(ようはい:遠くから眺めて拝むこと)できる安達太良神社は、この地の人々の信仰を集め、今の本宮市の名前もこの神社に由来しているとされています。

この神社は、万物生成の神、地域開拓の祖神等を祀り、産業開発、商売繁盛、家内安全、厄除け、縁結びなど、あらゆる幸福を守護しています。また、「甑(こしき)」という神が祀られているのも特徴。甑とは古代の蒸し器のことで、安達太良山が湯気のような噴煙を上げていたことからこの地の神としてあがめられました。 5月1日の春祭りには御神楽の奉納が執り行われ、秋祭りの中日10月第四土曜日には「興渡御(みこしとぎよ)」、雄壮な「裸神輿」、女性だけで担ぐ「真結女(まゆみ)神興」で賑わいます。

福島の南の玄関口である白河を落とした新政府軍(西軍)は、棚倉、三春、そして本宮、二本松を落とします。その進みは早く、7月26日に三春藩、28日に本宮、29日に二本松城陥落と、わずか数日しかかかっていません。 安達太良神社はこのルート上にあり、また、会津への侵攻ルート上にもあったため、戊辰戦争時の弾痕といわれる跡が神社の柱に残っていて、銃撃戦の激しさを物語っています。戊辰戦争の軌跡を辿る際はぜひ訪れていただきたい場所です。

安達太良神社

当時も勇ましい男たちが、長い階段を上っていったことでしょう。

安達太良神社

この神社を前に、銃を構えている姿を想像してみてください。

安達太良神社

柱に残る銃の跡。会津以外では珍しい、貴重な史跡です。

安達太良神社

お問い合わせ:安達太良神社

〒969-1121 本宮市本宮字舘ノ越232
TEL:0243-34-2710

福島県観光交流局観光交流課
TEL.024-521-7398/FAX.024-521-7888